つぼさん写真
富士高野球部雑感

この度の東日本大震災により被害にあわれた皆様・高校球児に対し、心からお見舞い申し上げます。
 富士高には昭和五十七年四月に転勤した。前任の西村先生の話によると学校の事情で私の意思に関係なく着任前に部長に決定していたらしい。
 富士高勤務は十三年。うち野球部長は坪内先生が西高(富士宮西)に転勤されるまでの七年間だった。その間、夏の県大会準優勝、東海大会優勝、甲子園選抜大会出場という幸運に恵まれ、坪内監督・山田副部長(現袋井高監督)、並びに選手諸君には心からお礼申し上げたい。
 最初から驚きの連続だった。富士高グランドは晴天の日でも雷鳴が轟き連日落雷があった。それ以上に驚嘆したのは野球に取り組む選手達のひたむきさだった。夏の大会でこのチームは快進撃を続け決勝に進出した。惜しくも静高に破れ甲子園への道は潰えたが、監督・選手の胸にはいまでも無念の思いが去来することであろう。好チームだった。
 甲子園への切符は簡単に入手できないが絶対不可能ということでもない。プロ注目の逸材や有力選手がいなくても監督とチームが一丸となり、今年こそ、今年こそはの努力と頑張りがあれば、いつか好機が訪れ夢がかなう時が来る。富士高が昭和五十四年夏に成し遂げた甲子園出場の偉業、昭和五十七年夏の準優勝、昭和六十一年秋の東海大会優勝と昭和六十二年春の甲子園選抜大会出場はそれを如実に物語っている。
 部長七年それ以外の六年で気づき感心したことがある。野球部には球史以上の美点がある。それは美人の女子マネに関係なく、部や部員の好感度、信頼度が抜群に高いことである。
 富士高は進学校で文武両道を旨とし、半数以上の生徒が運動部に所属している。文武両道は「言ふは易く行ふは難し」である。野球部はそれを実践しているからすごい。部員の多くは、品行方正、学業優秀、不言実行、公明正大、率先垂範、明朗闊達、俊足巧打、赤点無縁であるが、たまに前代未聞、軽佻浮薄、抱腹絶倒、三球三振、大器晩成も混っており、その顔ぶれは多彩(選抜出場組)であった。。
 野球を続けることの厳しさを全校生が知っている。また、団結力で全校に奉仕する姿をいつも目にしている。公共心は運動部の模範であった。だから球場に駆けつけ応援してくれる。校歌を歌ってくれる。「有り難し」である。
 スポーツをする者にとって親愛・信頼に勝るものはあるまい。そこには甲子園以上の価値があり至高のものがある。
 大震災で今夏は特別な大会となる。
富士高野球部の健闘を祈ります。


■小野田萬氏・・・坪内一哲氏が富士高監督時代のほとんどの期間野球部長を務められたのが小野田氏。激しい監督と穏やかな部長というコンビネーションが素晴らしかった。坪内氏転勤のタイミングで部長をやめ、その後学年主任として富士高の進路指導改革を進める。その成果はめざましく現役で東大・京大あわせて十三人輩出という年もあったようだ。ご出身は福島県南会津。津波等の被害は少なかったようだが今回の震災には人一倍心を痛めているはずである。
(OB会報第6号より抜粋)


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